第4章
「言葉は言葉であるに過ぎない。」
「私の愛し子よ、私は天にいるあなたの父、そう エホバ、いと高き神です。私に耳を傾けなさい、私の小さき者よ、そしてこの日与えられることを記録しなさい。私の民が気付くためです。なぜなら、大いなる危機が全世界にあり、この大いなる危機は多くが信じているよりも遙かに大きなものだからです。私の子よ、問題が醸成される所には更に大きな問題があり、人々がまどろむ所には更に深いまどろみがあるものです。兵隊が戦うために集まる所には更に大きな戦争があるでしょう。地球全体が騒乱の状態にあり、それが激化するでしょう。真理と尊敬と御霊の中で私を愛し私に仕える者たちは、周りの世界が没落するのを見ようとも、更に大いなる平和と、更に大いなる希望があります。なぜなら、私の民に私の霊が吹き込まれ、私の民は大々的に力付けられるからです。私の小さき者よ、私の愛する者たちの内側の私の霊のさらに素晴らしい存在が不純物を一掃しつつあります。それが病気を一掃しつつあります。あなた方一人ひとりを洗い、こすり洗いすることによって、それが病気(訳注:安らぎの無さ、原文はdis-easeで、安らぎeaseの反対disの意を暗示している、因みにdiseaseは病気)の領域を一掃しつつあります。ゆっくりと、そして時には急速に、私は私の民を変化させつつあり、私の忠実な者たちを変化させつつあり、心の純粋な者たちを不滅の状態へと変化させつつあります。私はあなたを私の息子の帰還のために準備しています。その時あなたは死を味わうことはなく、一瞬の間に死ぬべき者から不死の人に変化します。
おお、なんと悲しいことよ、多くが世の流砂の中に失われ、泥沼の中で失われ、ルシファーのショウガ入り菓子パンの家に騙され、欺かれて、あなたの愚かさゆえに地獄の火へと向かっている。そう、私の子よ、私はすべての私の民に言う、『賢明な処女を思い出しなさい!花婿が来たとき、彼女らは目を覚まして準備をしました。』 みな賢い処女のようにしなさい。あなた方の心を愛と赦しで満たされていなさい。すべてのことで私の意志を求めなさい。そして私を敬い私に服従しなさい。あなた方が日々真実と純粋さの命を生きなければ、私の息子は全く予期しない時に来るかもしれません。こういうわけで、私の言葉を読んで、学び、私の律法に注意を払い、私に従うようにあなた方に警告します。毎日そして一日を通して悔い改めなさい。そしてすべての人を赦しなさい。あなた方が魂の中に暗い重荷を持ち運ぶことがないためです。何よりも私を愛しなさい。私の息子を愛し大切にしなさい。なぜなら、彼を通して救いがやって来るからです。各々が私によって創造されたことを、また各々が私の霊を担うべく創造されたことを知って、自分自身を愛するように他人を愛しなさい。多くが失われているからです。なぜなら、背きの中で、彼らは私の霊を追い出してしまったからです。このことが彼らを愛すべき理由でさえあるのです。なぜなら、あなたの愛、あなたの中にある私の愛、を通して多くの者たちが私に、天的な愛の源へと戻って来るからです。私の小さき者たちよ、愛と赦しの模範となりなさい。愛はすべてを癒すからです。」
「さて、私の子よ、私たちは私の霊によって私の息子を通し、モーセを通し、私の座の前の七人の長老たちを通してあなたに与えられた課題を続けましょう。パート I は完了しましたから、パートIIに行きましょう。私の子よ、あなたは座って書いていますが、あなたの膝の上に開いた書物があります。あなたの前にセクションIIがあります。セクションIIの下の最初のページを開きなさい。そして見える通りに、与えられた通りにお書きなさい。」
「私の父よ、私はページをめくります。非常に部厚いページです。セクションIIの最初のページには次のように書いてあります。『言葉は言葉であるに過ぎない。』 これは大きな印字です。そしてその下には、比較的小さな印字で次のようにあります。『御霊によって活気付けられなければ見て聴きなさい。そして、これらの言葉をよく見なさい。なぜなら、その中にあなたの自由があるからです。』それから、次のようにあります、『光の欄に行きなさい。』 突然、私はこの書物から取り去られ、この家から取り去られて、神の御霊に取り上げられて、気が付くと美しい草深い山腹に立っています。しかしながら、草は緑色ではありません。純粋な美しい、金白色の光をしています。私はこの美しい光に囲まれています。再び、私はドアの前に立ちます。そして、ノックしますとあの以前入った光輝くドアと同じ物であることがわかります。なぜなら、それは次元間ドア(interdimensional door)であって更に高い領域、あの長老たちと私たちの貴い主イエス様と愛する兄弟モーセのいる領域へと続いているからです。私がノックしますと、ドア自体が光の炎の中に消えてなくなるようです。非常な喜びと見事な美しさと光の中に浸されて、私はそこを真直に通り抜けます。同時に私たちの貴いイエス様が見えます。イエス様は七人の長老たちの集まりの傍らに立っておられます。長老たちの後ろにモーセがいます。彼らを見ると、私は喜びで心臓がどきどきして来ます。私は私たちの主イエス様の方に駆け寄って足下に倒れて彼のみ足にすがります。私は彼の貴い御足に接吻して、素晴らしい愛に満たされます。私たちの主イエス様は膝を屈めて私の髪に触れて言われます、『お立ちなさい、私の子よ、そして、祝福をお受けなさい。カーテンが上がっていますよ。あいまいであったことがわかるようになり、わかっていることははっきりして来ます。』 それから、いわば小さなステージのようなものが見えます。そして、目の前のステージの上の光り輝くカーテンが分かれ始めます。それが開くに連れて風の音と鳴動が聞こえて来ます。そして、短い時間の雷がそれに続きます。それから、私たちの主イエス様が言われます、『ステージの上に上がって、場所をお取りなさい。』」
私は彼の美しく優しい目を見ます。そして、私はステージを振り返り、私の重ねた手を見下ろします。私は恥ずかしくて遠慮したく、ステージから離れたい気持ちです。
「さあ、行きなさい、子よ。」
「おお、私の主よ、あなたの仰ることはわかるのですが、でも、私は生来大人しくて内気な性質であるのをあなたはご存知です。あんな所にいますと落ち着かないのではと思います。」
すると、私たちの主イエス様は私の前に膝を付いて言われます、「あの小さな机と小さな椅子をご覧。あれがあなたの小さな机とあなたの小さな椅子ですよ。」
「はい、でも私の主よ、それがステージの上にあります。なぜですか?」
「私の小さき者よ、あなたは物静かであって控え目です。それにもかかわらず、私はあなたをこのステージに指定しました。」
「おお、私の主よ、そのような事はとても私には考えられません。考えただけでもそのようなことは嫌でございます。」
「私の子よ、わかっています。しかし、私があなたをそこに指定したのです。今、あなたはそのことを意識的にわかったのですから、上がって行ってそこでこの課題に取り組むことにしませんか?」
「私の主よ、そう致しましょう。でも、私は地下にいる方がよいのですが。私は人の上にいるように見られたくないからです。」
「私の子よ、わかっています。しかし、私があなたを召したのです。そして時機が来れば、あなたは私の民を治めることになります。私は既にあなたに裁きの杖を与えています。私たちの父はあなたがその杖を用いて、逸脱した者たちに裁きの宣言を下すように導かれます。」
「おお、私の主よ、私は最も小さい者の中で最も小さい者です。あなたのテーブルに座るなど私には全く相応しくございませんし、あなたの御前に侍るなど相応しくはございません。そしてあなたにお仕えするなど全く相応しくございません。私は名誉など欲しいとは思いません、ただ静かにあなたと私たちの貴い御父にお仕えすることのみを望んでおりまして、人の上に立つなどとてもそのようなことは望みません。ですから、私はステージよりも地下で働いている方がよろしいのです。」
「私の子よ、わかっています。しかし残念ながら私の預言者と使徒たちの多くがまさしくそのステージの上にいるのです。多くの者たちが脚光を浴びて注目の的となって働いています。彼らは力と威信を楽しんでいるのです。」
「私の主よ、とてもそのようなもの、欲しいとは思いません。」
「そうなのですが、私の子よ、これは私がそのように指定したのです。そこに行って書いてくれませんか?」
「私の貴い主よ、あなたの最もシンプルな願いが私の最大の願いです。私はあなたの願いが私たちの父の願いであることを存じております。私はあなた方お二人に喜んで戴きたいのでございます。」
「私の子よ、あなたは魚が後向きに泳ぐのを見たことがありますか?」
私はステージに向かって歩いて行きながら、彼が尋ねておられることを考えます。そして、私がステージに至る階段を三段上りますと、そんなものは見たこともないという思いが浮かびます。
「いいえ、私の主よ。魚がどのようにして後向きに泳ぐことが出来ましょうか?」私は一瞬、水族館で見た魚のことを考えます。ひょっとすると私は間違っているかも知れません。「私の主よ、私はそのようなものを見た記憶がございませんが。」 それから、私は小さな机の椅子に座ります。書物は課題のパートIIが開いてます。私は『言葉は言葉であるに過ぎない。』と書いてあるのに目を注ぎます。この短い言葉を見て、私はこの短い言葉および魚が後向きに泳ぐことの間に何か関連があるかも知れないと感じ始めます。
「正解です、私の子よ、関連があります。」と私たちの主イエスは言われます。
「どのようにでしょうか、私の主よ?」
「私の小さき者よ、今私があなたに尋ねたことは彼らを活気付けることもなく、命と意味を増し加えることもない無意味な言葉です。そうではありませんか?」
「はい、私の主よ、でもなぜそのようなことをお尋ねになったのですか?」
「ポイントをはっきりさせるために。」
「どのポイントでしょうか?」
「ポイントはこれです、私の子よ、もし私が言葉を語るか、神の霊が言葉を語るとしても、照らしを通して理解を与えることがなければ、言葉を語ることにどんな意味がありますか?」
「はい、私の主よ、その通りです。しかし、私たちの多くが、あなたの預言者として言葉を語りビジョンを受けますが、その意味に関して手がかりがないのは本当です。」
「そうです、私の子よ、各々が与えられたものについて誠実な心をもって追求するならば、殆どの場合はわかって来るものです。あるケースにおいて、エゼキエルとダニエルの場合、いくつかの意味は遅れています。それでも、わかって来つつあるのです。」
「そうしますと、私の主よ、各預言者は与えられたことについての解釈を神の御霊に尋ね求めるべきであると仰るのですか?そうしないなら、ビジョンと言葉は無意味になります。」
「その通り。」
「受けることはひとつのこと、はっきり理解させることはまた別のことです。もし、預言者が受けるだけで、他の者が理解できるようにその意味を追求しなければ、そのメッセージにどんな益がありますか?どのようにして人々を助けることが出来ますか?」
「私の主よ、わかりました。でも各々の預言者は自分で理解するためにやって来てはいないのではありませんか?」
「そうです、私の子よ、本当です。言葉が単に言葉であるに過ぎないのです。御霊を通しての照らしが無くて意味がないのです。」
「私の主よ、なぜ今このことをお話しになるのですか、またなぜ魚が後ろ向きに泳ぐことが出来るかどうかとお尋ねになったのですか?」
「私の子よ、あなた方は私の預言者たちまた使徒たちとして、人をとる漁師たちではありませんか?」(訳注:マタイ4:19)
「はい、私の主よ、あなたは古のあなたの使徒たちに向かって、人をとる漁師にすると仰いました。それは今日でも当てはまることです。」
「そう言いました、その通りです。それはまだ当てはまります。私の預言者たち、使徒たち、私の教師たち、牧師たち(preachers)、伝道者たちはすべて人をとる漁師たちです。」
「それで、そのことと魚が後ろ向きに泳ぐこととはどんな関係があるのですか?」
「おお、私の子よ、それと魚が後ろ向きに泳ぐこととは大いに関係がありますよ。もし私の油注がれた者たちが漁師であるなら、失われた羊はその魚です。」
「私の主よ、そのことはわかりますが、魚が後ろ向きに泳ぐことはどうなのですか?」
「私の子よ、あなたは捕まりたくない魚を吊り上げようとしたことがありますか?」
「はい、私の主よ。」
「その魚はあなたから逃がれようと懸命に引っ張って、後ろ向きに泳ぎませんでしたか?」
「はい、私の主よ。」
「では、このことです、私の子よ、あなたが油注がれた者として言葉を語りますが、それに意味がありません。失われた羊はしばらくの間は捕らえられるかも知れませんが、あなたは彼らを留めておくことが出来ません。彼らはあなたからなんとか逃がれようとして引っ張ります。なぜなら、あなたが語ることは彼らにとって無意味だからです。あなたがいったん捕らえた者たちを留めておくことが出来るためには、そしてさらに彼らを成長させるためには、あなたの言葉は私の霊によって照らされていなければなりません。彼らが油塗りを受け(anointed)なければなりません。神の霊で油を塗られた言葉には意味があります。そのような言葉にはフックが付いていますから、これらのフックが 失われた者たちを罠に掛けるのです。これらのフックが沈んで、失われた者たちに私の生ける言葉を食べたい、飲みたいと思わせるのです。わかりますか?」
「はい、私の主よ、でもあなたはなぜ今そのことを私にお話しになるのですか?」
「私の子よ、私は私の預言者たちと使徒たちを清めています。私は彼らを洗ったり、こすり洗いをしています。そして、大いなる選別の時が近付いています。多くの背信が私の油注がれた者たちの中に秘かに侵入していたのです。再三にわたって、私の者たち自身が『聖人ぶった』態度を取るのを見ています。私の油注がれた者たちが自分を他の者よりも上位に置いて、裁く権利もないのに裁きの座に座るのを見ています。私は偽預言者の興隆を見ています。彼らは偉大な事柄を支持しますが、自己に満ちています。彼らは私の者たちではありません。こういうわけで、私は多くの者たちのことで困惑しているのです。私は彼らへのビジョンが枯渇してしまっています。そして、彼らの預言への意味付けを差し控えているのです。彼らが私の前でへりくだって悔い改めなければ、私は世界中の彼らを断ち切って彼らの人生を転覆させます。私は私の家の大掃除をしているのです。そして、この掃除は現在進行中です。あなたに尋ねますが、私の子よ、あなたが私の油塗られた者たちを愛を以て訪れた際に、彼らから叩かれたり中傷されたりしたことは何回ありますか?」
「私の主イエス様、覚えてはおりませんが何度もあったと思います。とても悲しいことです。」
「さて、私の子よ、このことを知っておきなさい。それが突然停止する時が来ます。私は私の実証済みの者たちを選別しつつあります。そして、彼らをさらに大いなる働きのために取り分けておきます。自己中心と利己的な者たちは、悔い改めて私たちの父の働きを第一としなければ、彼らは損なわれるでしょう。さて、私の子よ、あなたにはこの遍歴する星(訳注:ニブルのこと)のことで多くの質問があるのはわかっています。私たちの父が言われたように、それが地球に急速に近づいているのは本当です。私の小さき者よ、あなたは間もなくこの惑星について多くのことを受け取るでしょう。それが本当であってすぐに戻って来ることを知っておきなさい。そのことを心配することはありません。悩むことはありません。なぜなら、心の純粋な者たちはさらに大いなる働きのために守られるからです。しかしながら、何10億の民が死ぬでしょう。」
「私の主よ、あとどれほどの期間が残っているのですか?」
「私の子よ、2-3はいくつですか?」
「私の主よ、-1です。」
「それでは、私の子よ、この惑星は期限が過ぎています。」
「期限が過ぎている。」
「そうです、私の子よ、この地球の大掃除は期限が過ぎています。私たちの父の憐れみのゆえに猶予されて来たのです。その時は過ぎ去りましたが、二度と猶予されることはありません。」
「あと1年、2年ですか、どれほどでしょうか?」
「私の子よ、このことを知っておきなさい。長い時間は十分な長さでは決してなく、短い時間はいつもあまりに短いのです。それがやって来つつあります。そして、知らない間に世界の大部分を完全に捕らえるでしょう。人はどのように準備すればよいかと尋ねるのですか?神の御霊に聞きなさい。神に戻って来なさい。ここに与えられたものを読んで、神の声に従いなさい。これで今日は止めておきましょう。私はイエスです、そして、すべては私たちのいと高き、私たちの父と神、エホバの意志に従って与えられています。」
目撃した通りを、口述を受けて、記録しました。
2002年4月3日
リンダ・ニューカーク
FTMホームページ| 第1巻| 第2巻| 第3巻| 第4巻| 第5巻| 第7巻| 第8巻|